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【新人スタッフインタビュー/阿藤#前編】福祉の道に進もうとしていた?CGとも建築とも無縁だった生い立ちとは

更新日:2023年8月5日




こんにちは!西鍛治です!

今日はいつもこのブログを書いてくれている

新人スタッフの阿藤に

僕のほうからインタビューを突然仕掛けていきたいと思います!(笑)


なんとなんと僕もあまり詳しくはないのですが、

阿藤は元々福祉系の大学に入学して

将来はそういう関係の仕事を目指していたらしく。。。

それがまぁまぁ色々と人生紆余曲折あって

現在はATA企画のCGクリエイターとして働いてくれています!


ではさっそくインタビューしていきたいと思います~!!




★前回の新人スタッフインタビューはこちらから


 

アポなしで阿藤に通話。


「阿藤さん、お疲れ様です!」


「えっあっ、お疲れ様です。。急にどうしたんですか。仕事ですか?」



「前回岡安君の新人スタッフインタビューを書いてもらったと思うんだけど、その続きで

今回は阿藤さんのインタビュー記事を書こうと思います。さっき思いつきました。

なので今これからインタビューします。



あっこれから?突然、、えっ何も準備してないけど。。。



「大丈夫大丈夫、俺もそこまで何も準備してないし、話していく中で考えていこう。

えーーっとじゃあまず自己紹介からお願いします!」



「えっあ、阿藤です。CG業界は実はまだ未経験でATAで初めて、、、」



あっいや、もっとね、いいよ、がっつり?話して大丈夫だよ。生い立ちとかから(笑)

阿藤さんのインタビューだからさ(笑)出身はどこ?」



「え、そうなの。。?生まれは群馬県の高崎という場所です。」



「うんうん。」


「高校までは群馬の高崎という場所で過ごしていました。私の地元はすごく田舎の町で、高校から家に帰るまで寄り道するような場所は何もないようなそんな場所で過ごしていました。

あるのは駄菓子屋さん1軒、最寄りの駅は時間帯によっては無人駅になって、未だに切符を駅員さんに手渡しで渡しています。家の目の前は畑、田んぼ、星空は自然のプラネタリウム、そんな場所で私は高校卒業まで過ごしていました。」


地元の最寄り駅の風景の写真
地元の最寄り駅の風景。高校生の時はここから毎日学校に通っていました。


「そうなんですね。そういう場所で高校までの人生を過ごしていたんですね。」



ちなみに、インタビュアーの西鍛治は東京出身で高校はバンドを組みながら毎日のようにカラオケで遊んだり、スタジオでバンド練習をして過ごしていた真逆のタイプなので実はあまりピンときていません。


「そんな私は福祉の道へ進みたいと思い埼玉の大学に入学して一人暮らしを始めました。もちろんこの時点では全くCGとも建築とも無縁の人生です。」



一人暮らしの部屋の写真
当時の一人暮らしの部屋。

「そこの大学で僕と岡安君に出会うんですよね。僕らは建築のデザインの学科なので

授業とかは別々なんですけど、色々あって。ちなみにどうして福祉の大学に行くことにしたんですか?」


「えっそこから??笑」



「うんぜひそこから!ちなみに福祉の中でもどういう分野を目指していたんですか?」


「私は福祉の中でも子どもたちの為の福祉に興味があって、社会福祉士という資格を取って、何らかの事情を抱えている子どもたちとかを支援できる仕事に就きたいって思っていました。」


「えっそれは高校3年生の頃?」



「そうですね。そのころは児童福祉司って職業になりたいって思っていました。」



「ちなみにそれはなんでその職業に就こうと思ったんですか?


「え、正直にいうと、、中学、高校とか学校に通ってきたなかで学校の先生の中で

信頼できる大人、というか味方になってくれる大人って自分にとっては少なくて、私の中の社会はやっぱり家以外だと学校しかなかったから。。。

そういう子どもたちに信頼される、寄り添える人になりたいって思っていました。

そういう大人がもっといたらなぁって思った経験が多かったから。。」


地元の公園の写真
小さいころから遊んでいる思い出いっぱいの地元の公園。

(高校3年生の頃とか、自分はほとんど自分のことしか考えてなかったのに、人の為に何かしたいって思えるのは凄いなぁ。)


「私自身、学校の先生に当時は裏切られたように感じてしまった事件があって

今思うとそれも大人の事情みたいなのもあったから仕方ない部分もあったのかもしれないけど

そういう同じように悲しい思いをしてる子がいたら自分だったらどうにかできるかなあって思った部分があって、当時はそういう職業を目指していましたね。」


そういう経緯で福祉の世界を目指して入学してきたんだね。」


不登校の支援をしたり、なんらかの事情で親と一緒に暮らせない子どもたちを支援する施設の職員になろうと思って入学しました。」


「なるほど。」


「だけど、大学4年生の頃には色々とあったんだけど、やっぱりそういう道に進むっていうのは難しいなって気持ちが強くなってきて。。」



「えっ!それはどうして??」


「授業を受けたり実習をしていくなかで、そういう福祉とか何らかの事情を抱えている子どもたちを助ける仕事は、私の想像と大きく違う厳しい現実があったんです。」



「。。」



授業を受ける教室の風景
当時授業を受けていた教室。なつかしい。。

「授業とかで子どもたちの映像とか実態を勉強していくと、実際は私の想像していたより

ショッキングな内容や現実を目の当たりにして、どうにかしたいと向き合えば向き合うほど、当然明るい世界ではないから、自分がどんどん病んでいってしまっている事に気付いたんです。」


「そうだったんだ。」


「そんな中、発達障害を抱えた子どもたちが通う幼稚園のような場所に実習に行きました。

そこで、想像以上に体力を使い、ご家族の方とも関わり、いろんな事情を知っていくと、自分もそれに共感したり、引っ張られて、苦しくなってしまって

私には、仕事として向き合うことはできないなって思ったんです。」


「阿藤さん、大学時代はそんな葛藤のある生活を送ってたんだね。」


「これはあくまで、私はそう感じた、と受け止めてください。

福祉の現場で働いている職員さんのお気持ちや、子どもたちに向けている笑顔など、本当に素敵だなって思うこともたくさんありました。

でも私は、今まで目指していた道を大学4年できっぱりとやめて

だけど、私はどういう仕事を次は目指せばいいんだって道に迷いながら

私にも働ける場所はあるのかな、とか思いながら大学生の最後の年を過ごしていました。。」


「そうだったんだ。。でもATA企画に入社したのはまだまだ最近だから卒業してからはどんな事をしていたの?


 

<次回>


当初は福祉の道に進み、支援を必要とする子どもたちに寄り添える人になりたいという夢を持って群馬からやってきた阿藤。

しかし現実は想像よりも厳しく難しい問題がそこにはあり

真剣に向き合えば向き合うほど、自分は病んでしまっていることに気が付き、その道を断念する。

その後は新しい道を模索しながら、CGと出会いATA企画に入社し活躍するまでのお話です!


お読みいただきありがとうございます!

次回もお楽しみに!

 

インタビュアー:nishikaji

企画・監修:nishikaji

サムネ/アイコンデザイン:okayasu



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